「本の話」(由起しげ子)

愛書家の蔵書を引き継いだ者の悩み

「本の話」(由起しげ子)
(「書物愛」紀田順一郎編)
 創元ライブラリ

闘病生活を続ける姉の
食糧確保のために、
すべてを与えて衰弱死した義兄。
その悲しみの中、
姉の看病を引き継ぎ、
手を尽くす「私」だったが、
万策尽き、
ついに義兄の本に手をつける。
が、その本に
義兄の生の痕跡を感じた「私」は…。

義兄は大学の教員です。
しかし彼は、30年もの間、
学問へ情熱を注ぎながらも、
たった一人の病床の妻さえ
養うことができずに
その生涯を終えるのです。
そしてその姉の介護を
引き受けざるを得ない「私」もまた、
その費用を捻出することができず、
苦しんでいくのです。
義兄と「私」のその姿から、
戦後の日本の社会の在り方、
そしてそれ以降
実は何も変わっていない
現代の有り様をこそ考えるべき
作品だと考えます。

しかしながら、本作品は同時に、
義兄の蔵書を
処分できずにいる「私」の姿から、
「本とは何か」「蔵書とは何か」
そして「蔵書愛」について考える視点を
有していて、
読み手はこちらの方に
思考が向いていくのではないかと
思うのです。

義兄の蔵書に手をつけるのは、
「私」にとって最後の手段だったのです。
なぜなら、義兄自身が
いくら困窮しても
それを売却することなく
命を終えているからです。
保管されていた本箱を開けて
蔵書を目にした「私」は、
そこに義兄の息吹を感じるのです。
「人間の行為の跡がそのまま
 この箱の中に保存されている。
 この箱の中に
 まだ義兄は生きている。」

義兄の600冊あまりの蔵書(現代では
決して多いとはいえないのですが、
戦後の混乱期であれば立派な量で
あったはずです)は、ほとんどが
海上保険に関する書物であり、
極めて専門性の高いものでした。
一般的に売れるものではありません。
「私」はなるべくそれらが散逸せずに、
義兄と同じように
それらを愛してくれる人のもとへ
渡ることを願うのですが、
「売却して金銭を得る」こととそれらは
相反してしまうのです。
ここが「愛書家の悩み」、というよりも
「愛書家の蔵書を
引き継いだ者の悩み」というもの
なのでしょう。

書物は愛書家の人生とともに増殖し、
愛書家の死とともに散逸する。
それが書物の運命なのかも
知れませんが、
何か割り切れなく感じてしまうのは
私も愛書家だからでしょうか。
私の蔵書は私の死後、
一体どうなってしまうのだろう。
それを考えると夜も眠られません。
まあ、私の場合は文庫本・新書本が
その多くを占めますので、
売ってもたいした金には
ならないでしょうが。

「書物愛」と名付けられた
アンソロジーの一篇です。
まさしく書物愛にあふれた一篇です。

※なお、本作品は
 第21回芥川賞受賞作品です。
 芥川賞作家ではあるものの、
 由起しげ子の作品の多くは
 絶版となったままです。
 残念なことです。

※由起しげ子の作品を収録してある
 文庫本に、
 ようやく巡り会いました。
 本書は素晴らしい
 アンソロジーだと思うのですが、
 収録作品情報が
 ネット書店サイトには
 掲載されていないため
 (出版元HPには掲載されているが)、
 その存在に長い間、
 気づきませんでした。

(2020.2.10)

Free-PhotosによるPixabayからの画像

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